2016年1月12日
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2018 01/12 22:49

午後、ホスピスから電話があり──すぐ駆けつけた。

眠り続ける母の様子は昨日と変わりがないように見えるが、そこがプロの勘なのか。

「耳は最後まで聞こえてます」
看護師は言うが、今さら何を言えと?

15時。ここへ来て2時間。

「今まで、ありがとう」

答えるように、呼吸停止。

ただちに看護師を呼ぶ。
医師が死亡確認。

15時13分。

昭和5年12月5日−昭和91年1月12日。

長い旅が終わった。
・・・・・・・・・・
職場へ、姉へ、兄へ、アイバンクへ電話。

なんと、姉は救急病院にいた。
介護施設にいた父が倒れ、救急搬送されていたのだ。
介護施設の職員が病院から帰れないでいるから、すぐに来てバトンタッチしろと言う。
「それどころじゃない」と携帯電話越しに言うしかない。不可抗力だ。

角膜摘出スタッフの女医2名が到着し、手術に1時間かかった。

それから本格的な「処置」の開始。
病室に持ち込んだ掛け時計と未開封の紙オムツは寄贈とし、あとは全て斎場へ運ぶこととなった。

すべてが終わり、
斎場が差し向けた車をスタッフ全員が見送った。
……1ヶ月、ありがとうございました。


斎場では、
すぐ枕飾りが運ばれ、係員が来て、葬儀の打ち合わせ。
悲しむヒマがない。かえってありがたい。

打ち合わせは住職が到着し、“枕経”で中断。
経本はないが、基本的な部分だから一緒に唱えた。
思えば祖母の葬儀も──“孫の読経で送られる祖母”を多くの親戚が羨ましく思ったらしい。

そういうものか──また、羨ましがってもらいましょう。

通夜と告別式の日時が決まった。

形式的な喪主は夫だが、緊急入院中らしい。
長男が関東から空路で到着するのは、翌日午後だ。

だから、私が喪主代行だ。
・・・・・・・・・・

母子水入らずの静かな夜が更ける。

22:00頃、ロビーに出て、無料サーバーのカフェモカを飲んでいると、

誰もいないのに、正面玄関の自動ドアが開閉した。

祖母の霊が様子を見に来ていたらしい。そして、いま出ていったに違いない。

喪主代行に不安を感じているのか?

ともかく、今から父がいる救急病院に行くのだろう。
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※一部修正

(89 pv)

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